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伊藤博文暗殺の謎 - 安重根の背後に誰が居たのか?発見されなかったブローニング銃の銃弾

2021-06-30  カテゴリー:日韓併合

伊藤博文暗殺の謎 - 安重根の背後に誰が居たのか?発見されなかったブローニング銃の銃弾

Photo by Ministerie van Defensie (licensed under CC0 1.0)

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暗殺前に日韓併合は閣議決定

伊藤博文暗殺は日韓併合を早めたという話を聞く事があるが、これは明確に違うだろう。理由はロシア利権の半島南下は半島融和政策が原因だという責任を負い、1901年に伊藤は総理大臣を辞任している。桂内閣で日韓併合についての方針を示した「適当の時期に韓国併合を断行する方針および対韓施設大綱」の閣議決定は暗殺前の7月にされている。それを受けて7月に伊藤は韓国統監を引退している。伊藤の暗殺は同年10月26日だ。

7発装填の銃から13発が発射?

安重根のブローニング銃の銃弾は伊藤の体内から発見されていない。事件により発砲された銃弾は13発。被弾者は以下の通り。

伊藤博文 3発、室田義文 5発、中村是公 2発、森泰二郎 1発、川上俊彦 1発、田中清二郎1発。

騎兵銃の弾丸は何を意味するのか

ブローニング銃は7発装填の銃だ。伊藤の体内からはフランス製の騎兵銃の2弾丸が見つかり、1発は貫通していた。安重根が伊藤を打ち損ねた際に作戦を補完する為にハルビン駅の屋根、2階部分などから狙撃している。何故2階部分かと言えば、司法解剖による弾道を見ても右肩から臍に向けて貫通しているからだ。

安重根による衝動的な単独犯でないとすると、首謀者は誰かという話になる。日本内部の政治抗争が原因とする説は、冒頭の理由から在りえない。日本国内では政治的な決着も手続きも既についているからだ。

ロシアは伊藤の訪問を歓迎

ロシア首謀説は、ロシア側の利点から見ると考えづらい。伊藤のハルビン訪問の目的はロシアの復権を助けるための貿易協定を結ぶことだったと言われている。ココツェフに会いにハルビンに行き、ココツェフ側も大歓迎していた。そもそも日露開戦を目的とするならば政治的な実権を持たない伊藤を暗殺することは的外れである。そして日露戦争終結からわずか4年で再度開戦などは考えられない話だ。

日露の混乱はロマノフの失態?

レーニン説というものがある。レーニンはロマノフの醜聞をかき集めていた。日露戦争でのロシアの敗北はレーニンにとって大きな契機となった。ロマノフ王朝の大失態として、ロシア国内に大量のビラを散布している。第一次大戦のきっかけとなったオーストリア大公暗殺(サラエボ事件)にもブローニング銃が使われた。ブローニング銃はロシア陸軍が採用する銃である。そしてレーニンはブローニング銃をかき集めていた。


共通点は2点だけしかない

この説での共通点はブローニング銃と、ロマノフの犯行と見せかけることができるということだけだ。コミンテルンの戦略は自らは戦わずに社会を扇動することが常套手段でもある。他国同士を戦争させることも含まれる。

日露戦争終結が1905年、伊藤の暗殺が1909年、サラエボ事件が1914年だ。そしてロシア革命は1917年。第一次世界大戦中に革命を完遂している。伊藤博文暗殺について首謀者は謎の中だ。別の角度から見れば、現場に残ったのは安重根とブローニング銃だけだった。

伊藤の顔を知らなかった安重根

安重根は伊藤の顔を知らない。供述でもそう話し、自叙伝にもはっきりと彼自身が書いている。顔を知らなければ暗殺は失敗に終わる可能性が高い。その場所には伊藤以外にも同行した日本人が数人おり、ロシア人もいた。当初から騎兵銃を手にした狙撃手らは準備をしており、予定通り射撃を行った。

伊藤の目前まで1人で近づいた理由は

安重根が伊藤の目の前まで行く必要性はあったのだろうか。考えられるのは、安重根に周辺の注意を引きつけ、遠くから狙撃することができるということだ。そして現場には安重根とブローニング銃だけが残される。




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