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【皇室】皇后陛下に重圧がかかる現在の皇室典範 - 男系継承の歴史と神話との繋がり

2024-05-09  カテゴリー:日本文化

【皇室】皇后陛下に重圧がかかる現在の皇室典範 - 男系継承の歴史と神話との繋がり

Photo by Fg2 (licensed under CC0 1.0)

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男系継承の意味

皇族の皇位継承問題は、男系継承か、女性天皇か、いまだに混同された議論となっているように見えますが、男系、女系と、男性、女性は違う点は先ず整理しなければいけないでしょう。皇室典範には皇位継承は男系の男子と書かれています。つまり、男系であり、かつ男子であることという意味となります。男系とは何でしょうか。これはつまり父を辿っていく系統を意味し、男子とは生物学的な男性を意味するでしょう。

そうすると、男系の女子は何故皇位継承ができないのかという反論があるのですが、歴代の女性天皇は10代8名おられますが、あくまで中継ぎ的な即位であり、直系の男系男子が即位可能となれば、男系男子が引き継いできました。男系女子の直系をそのまま引き継いでしまうと、そのご子息は母を辿らなければならず、つまり男系の系統はそこで途絶えることとなります。

歴史的に繋いできた系譜

日本の皇族は男系を繋いできましたが、これを皇統と呼んでいます。つまり皇統がここで途絶え、別の皇統と呼ぶべきか、別の歴史が始まるという考え方になるでしょうか。これは単なる男女平等理論とは違う問題となっています。各個人や各家庭で男女平等をすることは自由にすれば良いでしょうが、皇室の歴史、過去に遡るまで男女平等の価値観で作り変えることができるでしょうか。これは不可能です。

お世継ぎを繋ぐ困難さ

明治天皇の父である孝明天皇と皇后の間にお世継ぎは生まれず、明治天皇は孝明天皇と側室の間に生まれたご子息となります。明治天皇は皇后と5人の側室の間に15人の子供を作りますが、お世継ぎとして成長された男子は大正天皇お1人であり、大正天皇は明治天皇と側室の間に生まれました。

これはどういうことかと言えば、つまり血統を維持することがどれだけ困難なものであったかということでしょう。今のように医療も発達しておらず、子供ができたとしても成人できる確率は今よりもはるかに低く、その為多くの子供を持つことで子孫を繋いでいくことになります。皇統を繋ぐという重責の中では、側室制度はこのように機能し、お世継ぎを繋いできました。これは男子であるからできることでした。

男子は子供を多く作れた

女性は出産をする期間があり、その後も乳児の面倒を見たり授乳をしたりと考えると、1人が一生の内に出産できる子供の数は今よりも限られたものです。男性の場合は、側室を持てば理屈上何人でも子孫を作ることができます。つまりこのような生物学的な男女の違いも、お世継ぎを残すという前提では男系以外に在りえなかったということが言えます。

その上で皇后、側室の間にもご子息が生まれない場合には、宮家が存在し、その宮家の男系男子が皇位を継承します。つまり現代においては、秋篠宮家に悠仁親王殿下がお生まれになったので、悠仁親王殿下に皇位継承順位が付く訳ですが、これは日本の歴史の中であたりまえのこととなります。

実子しか認めないという危険性

逆に言えば、側室制度もなく、宮家も減らされ、実子のみに皇位を継承させるという考え方に立てば、実は男性としての生物学的な子孫を残す能力は全く発揮されず、女性と同じペースで、子供を授かることとなります。つまり皇統が途絶える確率が各段に上がるということです。

例えば現在の価値観を過去に当てはめ、側室は正式な皇后ではないので、そのご子息に皇位継承権はないなどと言い出す人も出てきそうです。もしくは、女系を認めるならば、側室の両親は皇統ではないので、それを遡って行けばどこに向かって行くのでしょうか。つまり、皇統を一系としなければ、限りなく分岐が始まり、つまり分派し分裂し、万世一系が持つ国民統合の系統の意味が崩壊してしまうでしょう。

男女平等と混同する話ではない

今上天皇陛下と皇后陛下との間には実際にお一人しか授かりませんでした。つまり、今上天皇陛下への尊敬の念が、実子である愛子内親王殿下に皇位を継承させるべきという話は、気持ちとしては理解可能ですが、実は皇統が途絶える道を提案していることになります。このような感情的な理屈では、なかなか難しい問題であり、男女が平等であれば良いという話では無いでしょう。

これまでご説明した通り、男系であった理由は生物学的にも合理的な側面があり、それを前提としなければ皇統は途絶えていたと考えれば、当然現在の今上天皇陛下も存在しないことになり、なにかしらの継承が行われ、別の天皇陛下が即位されていたとしても、当然系譜を遡っても神武天皇にたどり着くことはできないでしょう。

天照大神は女神

天照大神は女性では無いか、愛子内親王殿下は天照大神の化身だなどといった、根拠不明な主張を見たことが在りますが、天照大神(アマテラスオオミカミ)が女神であることは間違えありません。しかし、天照大神の子である天忍穂耳尊(アメノオシホミミ)は、天照大神と建速須佐之男命(スサノオノミコト)の誓約によって生まれています。誓約とは、天照大神と建速須佐之男命が賭けのようなことを行い、その際に天照大神の勾玉から天忍穂耳尊が生まれていますので、独神として生んでいます。

つまり、天忍穂耳尊の上には天照大神しか存在せず、その上には伊邪那岐しか存在しません。伊邪那岐も伊邪那美と別離した後に独神として天照大神を生んでいますから、この段階で男系か女系かを考える必要も無く、正統な系統を辿ることが出来ます。そして、愛子内親王殿下は間違えなく今上天皇皇后陛下の間にお生まれになっているので、伊邪那岐の禊によって生まれた天照大神とは前提が違うでしょう。

神話にも様々な系譜

神話の話をするならば、それこそ八百万の神というように、様々な系統が存在します。別天津神の五柱が生まれ、その後神世七代の十二柱が生まれ、男女ペアとなった十二柱の一つが、伊邪那岐と伊邪那美となりますが、各々その子孫を生んでいます。

出雲大社で有名な国譲りの伝説は、高天原を追放され、早くに葦原中国に居りていた建速須佐之男命の子孫が大国主であり、天孫降臨を行った瓊瓊杵尊にア葦原中国、つまり地上界を譲り渡す伝説であり、その後建立されたのが出雲大社とされています。つまりここで系統が変更されています。

現在の皇統は神武天皇から遡れば、瓊瓊杵尊から天照大神に辿る系譜であり、それとは別にこの建速須佐之男命の系譜や、その他神々の子孫が居る為、神話の世界においても正統な系譜を辿らなければ最終的に伊邪那岐にたどり着くことができません。

つまり、これは皇統のみの問題では無く、日本に八万社あると言われる神社はこの神話を前提としているため、日本古来の神話や神社信仰自体が崩壊してしまうことになります。本当にそれで良いのでしょうか?

皇后陛下に重圧が掛かる皇室典範

現在の皇后陛下はお世継ぎの問題が重圧となったと言われ、気持ちが滅入ることが頻繁に在ったと言われています。これは、実子に男子が居なければという強い責任感から生まれたものという考えもできます。当時まだ悠仁親王殿下はお生まれになっておらず、皇統が途絶える可能性が高くなっていました。

裏を返すと、実子でなくても宮家に男系男子が居れば皇位は継承が可能であるという前提で、旧宮家を皇族に復帰させることや、養子を取ることを認めることは、実は皇后陛下への重圧も幾分か緩和されるかもしれず、逆にその安心感でお世継ぎがお生まれになる可能性も上がるかもしれません。

つまり、これまでの皇統の考え方は子孫を繋ぐ考え方において、非常に合理的に維持されて来ており、宮家を減らしたことで皇后陛下への重圧はかつてないものとなっていたと言えるでしょう。実子でなければならないという考え方は、つまり皇后陛下を追い詰める結果とはならないでしょうか。

いずれにせよ日本は万世一系を、世界で類を見ない長きにわたり維持して来た、唯一の国家であり、それが故にもっとも長い歴史を持つ国と認められています。この系譜を変更する感情的な主張よりも、やはり合理的に歴史的に維持されて来た系譜をいかに後の世に繋いでいくのか、この知恵が求められているのだと思います。

感情論での皇位継承への主張は危険

愛子内親王殿下に皇位を継承させるべきと主張する人々が言う理屈は、今上陛下の実子であるという理屈しか無く、実子でない悠仁親王殿下は認めない、秋篠宮家も認めないという、ヒステリックな主張をする人々を見かけます。それでは、愛子内親王殿下が仮にお生まれにならず、つまり今上天皇皇后陛下の間に子供が授からなかった場合、この人々は何を主張するのでしょうか。実子でないなら認めないという理屈は、このように論理破綻をしているのです。むしろ、現在の法律のモトでは、秋篠宮家に男子がお生まれになったことを喜ぶ方が自然なのではないでしょうか。何故ならば、現行の皇室典範において、男系の男子が継承すると書かれており、悠仁親王殿下はまさに男系の男子であるからです。

このような考えに立った時、悠仁親王殿下が天皇に即位された場合、その皇后陛下については、現在の皇后陛下以上の重圧が考えられるのは、秋篠宮家には悠仁親王殿下しか男子はおらず、そもそも、現在の全ミヤ家の中で皇位継承可能な男系男子は、実質的には悠仁親王殿下お一人となっているのです。この皇室を維持するための旧宮家の復帰や、旧宮家からの男系男子の養子受け入れを可能にする制度への変更が、日本の歴史を繋ぐ方法かと思われます。


【皇室】皇后陛下に重圧がかかる現在の皇室典範 - 男系継承の歴史と神話との繋がり



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